上平地区はかつては農具市がたつほどの大都市であり、栄えた地域であります。産島の例大祭のときは農具市がたち、対岸の長島からも来島があり大変賑わったとされています。そのため強い経済力と人口の多さで、かつては祭礼が維持されていましたが、近年は神輿の担ぎ手、祭礼の行列の参加者の数、資金等のすべてにおいて、その維持が大変な状況にあります。それは過疎化に伴ったもので、祭礼の存続もですが、村落の維持も危ぶまれているのが現状です。
産島にはかつて神功皇后が三韓平定のおりに寄港された伝承があります。そのときに産島で天皇様を出産され、そのときに使われた産湯の水が、現在も社殿脇にある神池の水であり、安産の霊水であります。別の伝承によると神功皇后の女官の出産であったとも伝えていますが、この小さい島に豊富な水があったことは、その神聖性の保持に重要であったと思われ、他の島の住人の間でも今でも伝説として語られています。水源地はインスイギというところにあり、そこの水は年中涸れないとされています。なお、神池の水は今でも安産の水として求める人が多くいるため、渡し船を頼めば汲みに行く事ができます。基本的に白く濁っていますが、年に数回だけ透明になる日があるとされています。
産島は神聖な島であると同時に耕作地として機能していました。そのためか、ネズミの伝承があり、ネズミの多い島として有名でありました。上平地区では虫の祈祷に際して、ネズミの祈祷も行われるのはそのためです。このネズミの祈祷で有名な島は今は無人島となった横島にもありますが、地理的条件が似ているので、この伝説は耕作地としての歴史の表れかもしれません。ネズミは体がドブネズミのように大きく、水かきがあったとされ、海を渡って害をなすほど多くいたとされていました。
これに関しては近年、大田黒司氏が江戸時代の古文書調査によって、実際にネズミの害があったことを研究発表されており、これは僧侶が祈祷で封じた事がわかっており、産島の宗教関連の遺構との関連を指摘されています。
その他の伝承としては海流の早い場所であり、海難事故が多発したため、いろいろと祭祀場所の変更等が行われたという伝承があるものの詳細は不明です。あと対岸の梶木岳(女岳)は産島同程度の山ですが、役行者が修行された場所としての言い伝えがあり、山頂の梶木岳神社には今でも役行者が祀ってあり、祭祀が続けられています。